2016年9月15日 (木)

100回来なくても101回目も必ず逃げて!

阪神淡路大震災の後に市民の手で立ち上げられた、被災障害者を支援する「ゆめ風基金」。東北大震災も、熊本地震の時も、力を発揮した。その「ゆめ風」基金から「ゆめごよみ風だより」という通信が送られてくる。代表理事の牧口一二さんの巻頭言には、いつも教えられる。

その巻頭言で紹介されていた、釜石市立中学生の言葉が津波の記憶石に刻まれているという。「100回逃げて、100回来なくても101回目も必ず逃げて」。釜石小学校の生徒が周りの高齢者などに声をかけながら、テンデバラバラに高台に逃げ、全校生徒が助かったという釜石の奇跡とともに紹介されている。

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2014年9月 7日 (日)

災害時要援護者支援訓練

8月30日に行われた、東京都・杉並区合同総合防災訓練での災害時要援護者支援に、中野区ボランティアセンターから参加した。
他地域からの支援団体が連携して、災害時ボランティアセンターの運営を行い要援護者支援を行う訓練だ。
私は、避難所対応チームに参加た。トイレや食料などが足りず、認知症の高齢者や障害者、子どもへの対応もできず、混乱する避難所に、どのような支援が必要かを検討し至急対応するための机上訓練だ。
安否確認チームは、障害者宅に行きヒヤリングを行った。ヒヤリングシートでいろいろ意見を聞き取り、実際に避難もしてみた。
想定した事態にどのような対応をすることができるのか、関係者と一緒に考えてみることは大事だ。
最後に「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の白石清春さんから講演があった。要援護者名簿については、障害者団体を含めた「地域防災会議」で話し合いをし、災害時に名簿を出す団体を決めておき、スムーズに名簿提出がで きるようにしておくことが必要だとおっしゃっていた。
中野区では、これから要援護者の災害時個別避難支援計画づくりが行われる予定である。

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2014年3月12日 (水)

障害者の防災を考えるシンポジウムのご案内

中野区障害者防災委員会企画

障害者の防災を考えるシンポジウムー災害時における障害種別支援計画についてー

2014年3月16日(日)13:30~16:00

会場 東京都立稔ヶ丘高校 第二体育館

シンポジスト予定 中野区長、中野区議会議長、中野区町会連合会、中野区民生児童委員協議会、中野区医師会、中野区防災分野、中野区社会福祉協議会、中野区障害者防災委員会

後援 中野区、中野区社会福祉協議会

参加費無料 手話通訳・要約筆記付き

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2012年3月26日 (月)

東日本大震災による影響につてい中野区障害者へのアンケート結果報告書

3月25日の「東日本大震災から1年~障害者へのアンケートから学ぶ」には多くの方々の参加がありました。

当日、アンケート結果の調査報告書を配り、パワーポイントで調査結果の概要を発表しました。報告書のPDFデータと、発表に使ったパワーポイントは、下記の中野区障害者防災委員会のブログにアップしています。
http://blog.canpan.info/nsyogaibousai/

後半のシンポジウムには中野区長をはじめ12人の関係者に発言をしていただきました。それぞれの立場での意見をお互いに聞くことができたことも大きな成果だったと思います。課題を共有することが、問題解決の1歩です。NHKテレビのニュースでも紹介されました。

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2012年3月23日 (金)

東日本大震災から1年~障害者へのアンケートから学ぶ

私がかかわっている中野区障害者防災委員会で、
3.11の震災の時、中野区内の障害者がどのような状況に立たされたか、どのような問題があったか、昨年、アンケート調査を行ないました。
知的・聴覚・視覚・身体・重心・精神など各障害者と支援者から300通を越える回答が集まり、多くの課題が見えてきました。
アンケート調査結果の報告集を作成しました。

下記のように、アンケート結果の報告とシンポジウムを行ないます。
シンポジストは、中野区長、町会連合会会長、民生委員協議会会長、中野医師会理事、通所施設施設長などの方々にご出席いただきます。

アンケート報告は私が行ないます。いらしてください。

「東日本大震災から1年~障害者へのアンケートから学ぶ」
3月25日(日)13:20~16:30
中野区勤労福祉会館 地下多目的ホール
参加費 無料  手話通訳・要約筆記付
主催 中野区障害者防災委員会
後援 中野区・中野区社会福祉協議会

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2011年12月28日 (水)

JDF被災地障害者支援センターふくしま白石さんの講演

 12月23日に「東日本大震災から学ぶ」とのテーマで、被災地障害者支援センターふくしまの白石清春さんをお招きして講演会を行いました。主催は中野区障害者防災委員会です。

 障害者の人達が、福祉センターに避難してきた当時の様子、現在はサロンをつくり被災障害者の支援をしていることなど、パワーポイントを交えて話していただきました。何よりも大変だと思ったのは、原発事故による放射能汚染です。子ども達や体の弱い障害者に与える放射能の影響は大きいだろうということです。元の家に戻れない人達もたくさんいます。震災はまだ続いています。

 南相馬市の作業所の人達が作った、缶バッチ100個が会場であっという間に完売しました。皆様も缶バッチを取り寄せていただき、ふくしまの障害のある人達を支援してください。http://www.dinf.ne.jp/doc/JDF/fukushima_news/news_f6.html

今年は、大震災、原発事故と大変な年でした。来年は少しでもよくなるようにしていきたいです。

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2011年11月22日 (火)

災害時医療救護訓練

 昨日、中野区の第10中学校の体育館で、災害時医療救護訓練が開かれました。私は中野障害者防災委員会のメンバーとして参加しました。

 模擬救護訓練で、車イス利用者で言語障害もあるOさんが、腕にケガをしたという想定で、防災会の方々によって、医師達が待つ救護所に運ばれました。運んできた防災会の方々に「名前は?住所は?」と聞かれ、なかなか聞き取れない周りの人に、障害者防災委員会にも出席していただいたことのあるW医師が、障害のある人とのコミュニケーションをとることの大切さをお話されていて、周りにいた町会や防災会の人達が、ほんとうにそうだという真剣な顔をされていたのが印象的でした。

 障害者防災委員会が企画している出前講座のチラシを渡すととても興味を持っていただくことができました。

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2011年11月14日 (月)

ゆめ風基金へカンパを

ゆめ風基金のカンパ先は、http://yumekaze21.blog39.fc2.com/

よろしくお願いします。

「みんなして、がんばっぺし」

被災地復興障がい者センターおおふなと に掲げられていたすてきなスローガンです。

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被災地障がい者支援センターいわて

 宮古に行った後の報告が切れてしまいました。9月5日、盛岡駅で21世紀社会デザイン学会の被災地研修グループと別れ、私は1人で一駅先にある被災地障がい者支援センターいわてに向かいました。電車から降りる時に手動のドアをあわてて開けて、ホームにころがり落ちました。電車のドアに階段があったのです。右足首が痛い!「だいじょうぶですか!」と電車の中から乗客の方々の声。でも、大きなリュックを背負ってホームに転んでいる私を残して電車は行ってしまいました。ホームには駅員さんの姿もなく、私はしばらくうずくまった後で、また足首を折ってしまったのだろうかと不安でいっぱいになりながら、階段をやっとの思いで上って、改札の駅員さんに薬局があるかと聞きました。「一軒もありません。」、駅員さんの態度も答えも冷たく、途方にくれながら改札口を出て、また階段を上り下りして、反対側に出ると「マツモトキヨシ」の大きな看板がありました。ドラッグストアは薬局だと駅員は思わなかったのかしら。シップを買って貼って、痛みをこらえ足を引きずり20分ほど歩いて、被災地障がい者センターいわての事務所にたどり着きました。

 笑顔で迎えてくれた八幡さんや事務所の人に心配をかけまいと、「お役に立てなくてすみません。足をくじいて来ました。でも、大丈夫です。」と、私も笑顔であいさつしましたが、実は足の痛みで頭がいっぱいだったのです。「運転できますよね。」と聞かれ、「いえ運転できません。」これが一番事務所の皆さんをがっかりさせたようです。津波で被災した沿岸部へ支援に行くためには、車で2時間半山を越えて行かなければなりません。往復で5時間。支援に行くためには車の運転が必要なのです。支援センターの事務所には、スケジュール表が貼りだしてあり、ポストイットがたくさん貼ってあり、どのようなニーズがあり、だれが支援に行くのかが一目で分かるようになっています。私は、翌日、大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人に聞き取りに行くことになりました。

 事務所の上がアパートになっていて、沖縄から長期に支援に入っている女性といっしょに泊めていただきました。痛い足は大きく腫れなかったので、経験上、骨折ではなく捻挫だと自己診断し、少しは安心しました。(私は今まで何度も足首を骨折したり捻挫したりしています。)翌朝は、少しは痛みもおさまり、関西から来たボランティアの青年と長期で支援に入っている青年の運転で、大船渡市に向かいました。美しい景色の遠野を通り、運転できない私はただ乗っているだけで申し訳なかったです。

 大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人にお話を聞きました。住宅は木造で外側にはスロープや視覚障害者用の誘導ブロックがありました。しかし、住宅の中は障害のある人にとって使いやすいものになっていません。台所は流しの下は収納がなく、車いすが入るように空いていますが、なべなどの収納が上の手の届かない吊り戸棚になっていて、結局台所用品を床に積み上げることになり、台所は車いすでは回転ができない狭さになっています。風呂場に入るには段差があります。部屋の引き戸は重くて開けられません。危ないからベランダをつけて欲しいと要望していた掃きだし窓は、転落事故があってから、やっとベランダがつけられたそうです。

 住民の方からお話を聞いて帰ろうとした時に、この仮設住宅の一部屋に配置されている生活支援員の人から、勝手に来ては困る、支援員に断って欲しいと声をかけられました。聞けば、大船渡市は障害者用仮設住宅だけでなく、すべての仮設住宅の団地の中の一部屋に生活支援員を9月から置いたそうです。他の仮設住宅に住んでいる人達からも支援員というより、管理員のようだと言われています。民間の事業者に委託されていて、支援員の人もどうしていいかわからず手探り状態のようでした。

 あれから2ヶ月がたちました。冬は雪で山越えもむずかしいので、沿岸部に支援の拠点を設けたいと八幡さんは言っていました。長期に支援していくためには現地で支援センターの職員を雇用していきたいと言っていました。9月も現地の若者が支援センターの非常勤職員として仕事をしていました。被災地障がい者支援センターを支えているのは、全国の人々から寄せられる「ゆめ風基金」へのカンパです。私達は「ゆめ風基金」へカンパすることで、継続的に被災地を支えていきましょう。

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2011年9月22日 (木)

被災地へ 宮古市田老地区

 9月5日、バスは田老地区に入る。案内してくれている三陸鉄道の人は、この田老地区に住んでいて、家が流された。10メートルの高さの2重の堤防を越えて津波は襲ってきた。Dscn7812 数年前、三陸海岸を旅行した時、すごい高さの堤防を見て驚いたことがあるが、その堤防を今回の津波は越えたのだ。

Dscn7820津波で破壊された堤防

津波で破壊された田老診療所

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3時15分で止まっている診療所の時計Dscn7852

診療所の周りは土台だけを残した家々Dscn7858

逃げ遅れた人が何人もいたと言う話に、言葉がない。

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